ヨーロッパが気候変動問題に取り組む理由

 気候変動問題。なにかと議論を呼ぶテーマである。地球温暖化は現実の話なのか?人間の手によって止められるような問題なのか?本当は大きな陰謀ではないのか?今回は、そこら辺について自分の考えを書いてみる。多くの主観が含まれていることにご留意頂きたい。

 

 政治には何事にも裏がある。まるで純粋な公共心から生み出されたような施策にも、その裏側には大きな利権構造が隠れていたりする。なぜアメリカは中東で活動していたのか。なぜ中国は途上国支援に積極的なのか。同じように、なぜヨーロッパは気候変動問題に積極的に取り組むのか。

 世界各国の影響力の大きさを比較するにおいて、経済力は重要な要素である。そして、経済発展のためには石油や石炭などエネルギー源の確保が重要である。ヨーロッパは、石油という重要な資源の多くを輸入に依存している。だから、ヨーロッパは経済的な立場が弱いし、巻き返すことも難しい現状がある。

 経済発展を重視する現在の世界において、環境問題に取り組むことは経済合理性の観点から考えて非合理的である。なぜなら、環境に配慮した方法をとることは多くの場合においてコストアップにつながるからだ。しかし、ヨーロッパには環境問題に取り組むメリットがある。石油の使用に世界的な制限をかけられれば、ヨーロッパにとってはプラスになる。ヨーロッパは再生可能エネルギーの普及に積極的である。脱石油が世界標準となれば、再エネ技術等の輸出大国になれるかもしれないし、エネルギー安全保障でも強みを得られる。

 この野望を実現させるため、ヨーロッパは世界経済のルールづくりに積極的な姿勢を見せてきたのではないか。1972年には国連人間環境会議をストックホルムで開催した。IPCCの開催を主導したのもヨーロッパである。

 

 世界各国はなぜこの風潮に従うのだろうか?2015年COP21で採択されたパリ協定には、ほとんどの国が参加している。経済合理性を目指すならば、一匹狼になってでも、バッズを垂れ流しながら経済優先の施策を打てばいいのではないか。

 一応、IPCC等のデータによれば、各国の経済政策によって地球温暖化が進んでいること、そして、地球温暖化がこのまま進めば世界において甚大な被害が生じるということが「蓋然性の高い未来」として客観的に裏付けられている。気候変動問題には世界が一丸となって取り組まねばならないということで、各国が足並みを揃えて対処している。

 ただ、この状況は今後も永続的に続くのだろうか?今の状況は大変望ましい状況だが、その基礎は脆いと思う。例えばアメリカのような自国第一主義をとる国が現れたとき、その動向を食い止める力は国際社会にはない。また、ヨーロッパとの対立の中で、人間の経済活動が地球温暖化に与える影響が少ないことや、地球温暖化により生じる悪影響が少ないことが明らかにされた場合、この考え方に賛同しない国が現れてくるだろう。それが事実ならば良いことでもあるが、いまはポスト真実の時代であり、信憑性が高いと思われている機関の一声で、世論は大きく変わることになろう。

 

 今回のエントリでは、ヨーロッパが気候変動問題に取り組む理由をきっかけに、国際政治の表と裏について考えた。たしかにこの問題は、表と裏という関係でいえば、アメリカの中東政策や中国の一帯一路政策とも同列に語られる性質のものであろう。しかし、この問題には、社会的正義の実現という要素も多く含まれている。気候変動問題に対処すること、ひいては人間中心の消費生活から、他の生物、植物、地球環境をも大事にする生活へシフトすること、このことは多くの人が思う「よいこと」である。だからこそ、国の勢力争いという国際社会の動乱とはまた別に、この問題には取り組まねばならないと思う。

 その中で、2030年・2050年に向けて、世界各国で足並みを揃えるには、ひとりひとりの人間、NGONPO、こういった市井の人間の努力が欠かせないと思う。