ハドソン川の奇跡を観た

 『ハドソン川の奇跡』を観た。監督はクリント・イーストウッド、主演はトム・ハンクス。2009年1月15日に起きた実話を基に作られた映画である。

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 いい映画だったことは言うまでもない。私がこれまで観てきた映画で、トム・ハンクスが出演しているものは、多分ハズレがない。

 

 これを観て考えたことがいくつかある。

 第一に、自分がこの飛行機の乗客だったらということだ。落ちていく飛行機のなかで、何もできずただじっと時を待つというのは本当に苦しいことではないのか。乗客全体の生存率を少しでも上げるためには協力的な行動をとるべきだ。しかし、助かる見込みが全くない、あるいは、独善的な行動をとれば少なくとも自分だけは助かるかもしれないというとき、果たして自分は冷静な行動をとることができるだろうか。そして、死にゆくとき自分は何を思うのだろうか。死ぬ前に言葉を遺しておきたい相手はいる。

 第二に、向けられる関心というものについて。サリー機長は事故後、奇跡を起こした英雄と称される。一方で、事故調査の過程で、本来であれば空港に無事戻ることができたのではないかということが言われる。サリー機長やその家族に向けられた関心は、徐々に彼らの心を蝕んでいく。翻って我々はどうだろうか。テレビやネットで報道されるニュースに、必要もないのに首を突っ込んではいないか。

 第三に、社会人になる一人の人間として、自分の仕事が誰かの人生を傷つけることがあってはならないと思った。私の一挙手一投足は、回り回って何かに昇華されるだろう。仕事を始めればなおさらだ。

 

 みんなで力を合わせて、というのはやっぱり感動してしまう。せざるをえない。不可避である。なぜだろうか…?