個人で働くか、チームで働くか

 大学以降は、チームで働くことが求められる。チームが機能すればこそ、単純な足し算では表せない大きな功績を上げることができる。難題に取組み、成果を上げるためには、チームとして働くことが欠かせない。

 一方で、チームを機能させるのは簡単なことではない。働きアリの法則でもいうように、チームの何人かがサボる。また、チームで成果を出すにおいては、人数よりも人の質のほうが重要である。徳川家康の石合戦の逸話でも、50人対100人の戦いで、50人が勝っている。

 では、どうすればチームを機能させることができるか?各自がオーナーシップを持って働く組織は強い。

 では、どうすれば各自にオーナーシップを持たせることができるか?そこが難しい。だからこそ、働きアリの法則や、徳川家康の石合戦の逸話が今まで語り継がれてきたのだ。

 

 「働かなければクビ」という仕組みが作れれば、誰しもが本気を出して取り組もうとするだろう。しかし、大学生のチームにおいて刑罰を定めることはできないし、そもそも、恐怖政治は不健全である。

 

 うまく機能していないチームの中で、どんな行動をすれば、チームの活性化に貢献できるだろうか。このことを、昔から考えて行動している。

 人間には「恥ずかしい」という感情がある。集団から逸脱した行動をとってはいけないという本能的な感情である。これは狩猟採集時代より、規律の取れた集団行動をしてきた種族が生き延びてきたからこそ、遺伝されているのだろう。

 働かないことを恥ずかしいと思わせるような雰囲気づくりが重要だ。そうすれば刑罰なくても、自発的に行動してくれるようになる。

 

 私は中高時代は、正真正銘のよく働くアリだった。文化祭の準備や、共同レポート、部活の準備など、チームの成果の半分くらいを自分が出してきた自負がある。個人ランキングで考えたときの貢献度は高いが、チームとしてのランキングを考えると、自分の属するチームは毎回しょぼかった。

 大学時代は、「普通のアリ」のフリをして、よく働くことを意識していた。人間どういうときに恥ずかしいと感じるか、同じ身分・同じ社会的境遇だと思っていた人間がちゃんと働いているにも関わらず、一方で自分はやっていないというときに感じる。だから、普通のアリとして認識させ、その上でよく働くことで、チームの6割を占める普通のアリに、きちんと働いてもらうことができるようになる。