内定報告会

 久しぶりの対面ゼミはさながら、内定報告会と化していた。さすがは「一流大学」で、名前を聞いたことのある企業名が並んでいた。私はその中で「みんなすげえなぁ」と無害な人間を演じながら、湧き上がる複雑な感情を処理するのに精一杯だった。

 

 自分が行くであろう就職先がネームバリューで劣る部分について、自分の中でも処理しきれていないのが自分の弱いところである。一端の「一流大学」を卒業しながら、しかも新卒でその会社に行くのかと、自分の中の弱い自分が冷めた目でコチラを見つめてくるのが分かる。自分の中にいる、虚栄心や劣等感で凝り固まった頭でっかち。それは或いは友達や親族など身の回りの人間の目(として自分が想像しているもの)なのかもしれない。

 

 「評論家」になってはならない。「プレイヤー」になろう。

 

 劣等感や虚栄心の奮起は、回り回っていつかの自分を蹴落とす存在となる。虚栄心が渦巻くレッドオーシャンでは、万人の万人に対する闘争がある。浮沈こそあれ、その誰もが毎日過度なストレスにさらされながら、偽りの成功に向けてもがいている。

 

 誰かが頑張っている姿を安全地帯から見ることは、とても楽しい。それは、アイドルを応援したり、あるいは子どもの運動会を見守る親の気持ちにも通じるものがあるかもしれない。

 自分がプレイヤーになることは、多くの痛みを伴う。他者との競争のなかで、自分の不出来さや欠点と向き合わなければならない。

 

 競争は大事だが、本分を見失ってはならない。自分はいまどこにいて、何を目指しているのか。400mトラックを我先に我先に何周も走る馬になってはいないか。本当の勝ち組は、涼しいところで見守るルールメイカーなのだ。そもそもこの営み自体が、社会にとって無価値である。

 

 偽りの成功を目指していると指弾する一方で、「正しい道」は何かと問われても、答えを提示することができない。それが自分の弱い部分である。

 そして自分は、楽な方向に流れてしまう人間であるということを理解した上で行動しなければならない。

 自分は興味のないフリをしながら、虎視眈々と偽りの成功を狙っている。他人を出し抜くこと以上に楽しいことはない。そして、他人に出し抜かれること以上に苦しいことはない。

 

 邪道を本道にしてしまうくらいのバイタリティを見せつけろ!