中学受験は不要だ

◇「教える」ということ ~教師とは何か

 私は、個人指導塾でアルバイトをしている。普段は中学受験生を指導している。その教え方に困っている。

 教師の仕事で最も重要なことは何か?私は「生徒をやる気にさせること」だと思う。「解き方をうまく教える」ことも大事なことではある。しかし、それ以前に生徒にやる気になってもらわなければならない。その前提があってこそ、教え方の巧拙が出てくる。

 中学受験生を教えるのは大変だ。それは、高校受験・大学受験の指導とはまた違う難しさだ。教師が解法を理解して、分かりやすいかたちで提示することは、そこまで難しくない。使う教材にいい解説が載っている。それを補強するかたちで、間違えた部分をフォローしてあげれば十分だ。しかし、中学受験の難しいところは、相手が小学生だということだ。

 

◇勉強する理由

 「勉強する」という行為は、エネルギーを消費する。それでもなぜ、勉強するのだろうか?

 一つ目は、必要だから。学生は定期テストのために勉強しなければならない。勉強しなければ、落第してしまうからだ。また、勉強は学生だけではない。大人が仕事を学ぶのも勉強だ。業務内容を把握して、マスターできるまで練習すること。それは必要だからやるのだ。

 二つ目は、楽しいから。勉強、それ自体が楽しいとき。例えば数学の天才というのは、数学を勉強することを苦としていないだろう。まるでパズルやゲームのように、楽しんでいる。だからこそ、その道を究められる。そして、「楽しいから」勉強するという経験は、みなそれぞれ、何かしらの形で持っているだろう。ひたすら漢字を書くのが楽しかったり、海外旅行を夢想しながら英語を勉強したり、化学の実験が面白かったり。楽しいと何時間でもやっていられる。何を楽しいと感じるかは人それぞれであり、そこが自分の個性やアイデンティティに深く関係している部分だと、後から考えるとそう思う。

 

◇中学受験のおかしなところ

 中学受験は、その半数以上が親のおしつけである。そもそも、義務教育課程なんだから、勉強をせずとも中学校に進学することができる。高みを目指すにしても、高校受験で挑戦すればいいじゃないか。それなのに、わざわざ中学受験をするんだから、よっぽどの物好きだ。自分も中学受験を経験した身である以上、あまり責められないが、公立中学でも、頭がいいヤツは結局難関大学に進学している。

 「半数以上」が親のおしつけと述べた。たしかに、自分の意思で塾に通っている子供が一定数いる。そういう子供は、好奇心の延長として勉強をしている。勉強自体を楽しめているので、彼らの成績は往々にして伸びる。難関中学に進学する子供は必ず、その一面を持っている。彼らは、中学受験をする価値がある。

 言葉は悪いが、難関中学に行かないのであれば、中学受験をする必要はない。教育のレベルだけで言えば、公立中学も受験校もほとんど変わらない。違うのは、生徒のレベルだけだ。難関中学の生徒は、難関を突破してきただけあって優秀である。レベルの高い環境に身を置くだけで、自ずと能力はあがる。相乗効果が生まれる。しかし、偏差値の低い受験校は、生徒のレベルがそれほど高くないにも関わらず、人間の種類の幅が狭い。それならば、公立中学で、いろんな人間がいる中で3年間過ごした方がよっぽどいい経験になる。

 

早期教育の罠

 閑話休題。小学生を教える難しさについて。

 勉強に意欲のない小学生を教えることほど難しいことはない。彼らにとっては、「小麦の輸入先を覚えること」よりも「フォートナイトの立ち回りを考えること」や「家に帰ってゲームをすること」「鬼滅の刃の話をすること」の方がよっぽど大事なのだ。そんな彼らに、日本のコメ作りの課題を語っても、馬に念仏で全く意味がない。でも、中学受験では、そういうことを勉強しなければならないのだ。友達だゲームだ言っていられるほど悠長なものではないのだ。

 優秀な子供は、早いうちから歴史やらものの仕組みやらに興味を持てて、自発的に勉強をすることができる。「教えられる側」にも、それ相応の準備が必要なのだ。特に心の成熟というのが大きなウェイトを占める。

 そして、先述のとおり、そういう子供が中学受験をする必要・価値は全くないと思う。そんなことを親御さんに言えば、早期教育やら空虚な教育論を語られるだろうが、そんな姿勢が子供を傷つけるのだと言ってやりたい。親は子供の個性を大事にしてあげるべきだ。勉強よりも遊びを選ぶ子供には、遊ばせてやればいい。やりたいことをやらせてあげればいい。芸人はとくに、いわゆる高学歴ではないのに、計算された面白さを創り出せるではないか。とかく「ママ」は、教育に価値を置きすぎなきらいがある。大事なのは「教育」ではなく「学び」である。「学び」とは自発的な行為だ。それは塾や学校ではなく、近くの公園や友達のお家にあるものだ。やりたいことがあるのは、いいことじゃないか。抑圧的な教育をしていると、しだいにその子は、やりたいことを失って、つまらない人間になっていく。そうなるともはや、水とタンパク質のかたまりである。

 

◇まとめ

 たしかに、勉強は大事だし、人生を豊かにするということは確かだ。そして、全てを子供に放任するのは間違っている。子供が勉強にアクセスできる環境を整えてあげるのは大事だし、また勉強の魅力に気づくように仕向けることも親の腕のみせどころだ。でも、塾に放り込んで「勉強しろ」というのは、全然ダメだと思う。

 一度塾に入れた手前、それを辞めさせるのは難しい選択であろう。これまで払ってきた高い学費がある。少子化のいま、塾は全力で引き留めてくることだろう。さらに、「自分の子供は優秀で、難関中学に行くんだ」という希望的観測もある。でも、1年以上塾に通って成績が上がっていかないのならば、それがその子の今の実力なのだ。

 心理学に「サンクコスト(埋没費用)効果」というのがある。いままで大きな投資をしてきたものには、それを上回る大きなリターンを期待して、さらに投資をしてしまうというものだ。この理論で、ギャンブル中毒者や貢ぐ人の心理を説明できる。人間は論理的な選択をするのが難しい生き物だ。それを自覚した上で、いままでのことを振り返ってみてほしい。

 なによりも、自分の子供を一番に思って行動してほしい。