尊敬する人物

 「尊敬する人物は誰ですか?」という質問は、愚問だと思っていた。当時の僕は、誰にでもなれると思っていたので、誰かを尊敬するくらいなら自分がそうなれよと思っていた。でも今になって、人間には適性があるということが分かった。そして、人間のリソースには限度があり、全てを注げば「尊敬する人物」に準ずる存在にはなれるかもしれないが、人生はそんなに暇じゃないということに気づいた。一連の思索から得た結論は、「『尊敬する人物』とは、自分があと少し届かない能力を持っている人のことである」という考えだ。

 

 これを踏まえて、私が尊敬する人物とは誰か考えてみた。尊敬する人物は、その人の足りない部分を表す鏡である。

 私はリーダーシップが足りない。人を引きつける魅力がない。小学校はまだしも、中学高校大学と、有力者のコバンザメとして生きてきた。そしてその役割をうまく遂行してきた。私をモノで表すならば、やはり潤滑油なのだ。リーダーにはなれない。

 私が尊敬する人物は、日向坂46の佐々木久美キャプテンだ。アイドルという大変な仕事をこなしながら、22人のアイドルグループを引っ張る。キャプテンとしては少し抜けている。それでも、メンバーを惹きつける魅力を持ち、ときにグループが道を踏み外しそうになったら、恐れずメンバーを怒ることができる。そして、アイドルという戦国の中で、一番をとるんだというビジョンを打ち立て、それを行動で表している。人を引きつける力、そしてビジョンを打ち立てる力、この部分で私はキャプテンを尊敬している。

 

 この考えから、自ずと自分の弱みや欠点が見えてくる。自分の弱みや欠点とは、人を引きつける魅力がないこと、そして、ビジョンを打ち立てる力がないことである。

 この部分は、自分の努力で改善されるところなのか。そして、改善を求めるべきところなのか。

 自分は、リーダーとして自分がビジョンを提示しながら何かをやるときに、一つのことに集中すると、周囲が見えなくなり、独りよがりな行動をとってしまう傾向がある。どんなことにもオーナーシップを持って、自分の成果を人に自慢したいという反骨心のようなものが起因しているのかもしれない。だからこそ、人に頼まず、自分でなんとかしてしまうという気持ちが多い。スポーツでは負けても、勉学や仕事は自分で何でもできるという思い込みがある。

 人に任せるということを学ばねばならない。人に対して信頼をするということを学ばねばならない。